認識論

人間コミュニケーションの研究に対するグレゴリー・ベイツンの最も重要な貢献の一つは、アルフレッド・N・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルがその「数学原理 (Principia Mathematica)」 (1910 年〜1913 年) で紹介した「論理階梯の理論」に基づいて、彼自身の認識論を発展、提唱したことです。この理論は、精神研究所 (MRI、すなわち、パロ アルト グループ) のウォツラウィック、 ウィークランド、フィッシュによって書かれた「変化」 (1974 年) で要約されていますが、その本質的な公理は「ある集まりのすべてを含むものは、その集りの一部であることはできない」というものです。つまり、(特定の複数のメンバーから成立している) クラスは、それ自身のメンバーであることはできません。たとえば、人類はすべての人間から成り立っていますが、人類は人間ではありません。ここで「論理的タイピング エラー」が犯されると、地図と領域の間の混同が生み出され、場合によっては、統合失調症患者が食物のかわりに、その食物が記述されているメニュー自身を食べ始めてしまうことになります。

認識論は、「自分が知っていることをどのように知っているか」についての知識 (または科学) と定義され、私たち人間の脳のメカニズムについての認識論的研究が NLP のようなコミュニケーション心理学の重要な基盤となっています。すなわち、認識論により、私たちの日常生活で直面する問題の内容を決定するプロセス (またはパターン) を知ることができ (プロセスは内容より「一つ高い論理階梯」にあります)、問題の克服が可能になります。言い換えれば、コンテント レベルでたとえどのような変化を試みても、私たちは、「終わりなきゲーム」 (ウォツラウィック等著の「人間コミュニケーションの語用論」と「変化」を参照のこと) を続けて、どこにも到達しない可能性がある一方で、私たちが真に達成することを望むことをもたらすのは通常はプロセス レベルの変化です。すなわち、私たちが達成することを望む変化を生み出すのは、「第一等級変化」ではなくて「第二等級変化」です ( 「変化」を参照のこと)。認識論的研究により、さらに、論理階梯の階層を登ることにより、「学習の学び方」を知ることができるようになり、そこのことによりいかなる分野の学習プロセスを加速化することもできるようになります。 (それは私たちの学習プロセスまたはパターンを扱うので、学習する内容そのものはもはや重要ではなくなります。)

上記のことから、20 世紀の科学的技術は多くの量子的飛躍を遂げてきましたが、人間心理学もまた、とうとう継続的に量子的飛躍を経る段階にまで来ざるを得なかったと言うことができます。このためにこそ、現代人がその内側と外側の生活を調和させる可能性が生まれています。人間はやっと唯物主義と精神主義の間のギャップを埋める可能性に達したとも言うことができます。この文脈で、ベイツンは (死後出版の著、「天使恐れる」で) 2,500 年前にアリストテレスによって提言され、デカルトが複雑化した諸問題 (たとえば、心体二元論) は、 彼自身とラッセルの認識論によってすでに解決されたとまで言っています (「本体と現象」、「二分対立のインタフェース」のページも参照のこと)。

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